マンガと仏教ー呪術廻戦③

第3回 呪術廻戦 東京都立呪術高等専門学校(0巻)その3

その①はこちら→https://shinkouji-nagoya.com/マンガと仏教ー呪術廻戦①/
その②はこちら→https://shinkouji-nagoya.com/マンガと仏教ー呪術廻戦②/

ここまで2回にわたって書いてきましたが、完全に私の主観になっておりますが、もうしばらくお付き合い願えたらと思います。

第3話「弱者に罰を」より

この話からいよいよ乙骨憂太を含む呪術高専と夏油傑一派との争いが本格化します。0巻の中心的な役割を果たすお話しが始まります。

我々は百鬼夜行を行う!!!(夏油傑)

呪術高専に乗り込んできた夏油の宣戦布告です。映画版でも「思う存分、呪い合おうじゃないか」というCMが流れていましたね。あの場面です。

この0巻(映画も含めて)の物語の中心的な話でもある「百鬼夜行」。百鬼夜行ってなんなのでしょう。国語辞典などによると「さまざまな妖怪が、夜、列をなして徘徊すること。転じて、人目に立たぬところで悪人たちがはびこり、勝手気ままに悪事をはたらくこと。」とあります。そしてこの百鬼夜行と仏教にはどうやら関係性があるようです。

百鬼夜行の状況を絵にした「百鬼夜行絵巻」は多く現存しています。最も有名なものが大徳寺 真珠庵に伝わる室町時代の土佐光信の作とされる『百鬼夜行絵巻』です。

様々な諸説はありますが、百鬼夜行図は「仏教を広めるための説話」というものが多く、お経を称えることで命が助かった。読経をして日が昇るまで耐え切った。仏様の加護によって救われるという仏教説話が中心となっているようです。

また真珠庵に伝わる『百鬼夜行絵巻』に関しては愛知県立大学大学院国際文化研究科の文献に「この絵巻は仏教と深く係わっていると考えられる。この妖怪行列 の構成は重要な仏教儀式である舞楽法会を摸しているからである。しかし、そこに僧の破戒が取り込まれていると推測される。」(『『百鬼夜行絵巻』に描かられた妖怪と仏教』)と書かれており、黒衣を着た僧侶のような妖怪がクローズアップされています。詳細は下のリンクからご覧ください。
そう考えると夏油傑は設立した宗教団体で「僧侶のような格好」をしています。また呪いが憑いていた女性を救済したことで「仏様のようなお人」とも言われています。そうした事からも『呪術廻戦』での夏油傑は「百を超える一般人を呪殺し呪術高専を追放され」ているので、この『百鬼夜行絵巻』における破戒僧と同じ役割を果たしているのかもしれません。

百鬼夜行之図の多くは、古道具が変化した付喪神と呼ばれる鬼や妖怪、化け物を集めて連続的に描いたものです。絵巻の最後は「夜明けの太陽」や「火焔(かえん)や火の玉」のよって、追い立てられて逃げ惑う妖怪や鬼たちの姿で終わる2パターンが存在するそうです。これを聞いてピンときた方もいると思いますが『呪術廻戦』同様に大人気作品である『鬼滅の刃』(吾峠呼世晴・集英社)の鬼や竈門炭治郎が使う「ヒノカミ神楽」のようですね。百鬼夜行は今、大人気のアニメ・マンガの2作品に影響を与えているのかもしれません。

<参考文献>
東京大学附属図書館→https://iiif.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/repo/s/hyakki/document/fbd0479b-dbb4-4eaa-95b8-f27e1c423e4b#?c=0&m=0&s=0&cv=0&xywh=2690%2C-15073%2C73618%2C33226
愛知県立大学大学院国際文化研究科『『百鬼夜行絵巻』に描かられた妖怪と仏教』(名倉ミサ子 氏)
https://aichi-pu.repo.nii.ac.jp/index.php?action=repository_action_common_download&item_id=3194&item_no=1&attribute_id=22&file_no=1&page_id=13&block_id=17

僕は真希さんみたいになりたい。強く真っすぐ生きたいんだ(乙骨憂太)

夏油傑に「禪院家の落ちこぼれ」と言われ、その理由が気になっていたが当人の禪院真希に聞けなかった乙骨。真希が自らその理由を語ります。その話の中で乙骨に「真希さんらしい」と言われます。

乙骨が「真希さんになりたい」ではなく「真希さん<みたいに>なりたい」と言ったのは、自分の弱さを認めているからでしょう。さらにいえば、真希は真希であって、自分は自分。真希にようになれても、真希にはなれないし、真希も乙骨にはなれない。それだからこそ強く真っ直ぐ生きるという意味も人それぞれ違う
大正期の詩人、金子みすずは「鈴と小鳥とそれから私、みんな違ってみんないい」(私と小鳥と鈴と)と詠み、SMAPは「No. 1にならなくてもいい、もともと特別なOnly One」「世界に一つだけの花、一人一人違う種を持つ。その花を咲かせることだけに一生懸命になればいい」(世界に一つだけの花)と歌いました。そして『仏説阿弥陀経』には「青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光」とあります。これらは生きとし生けるもの全て、似ていてもどこか必ず違っている。その人にはその人だけの輝けるものが必ず存在するということを示唆しています。

どのような境遇に置かれていても、乙骨にとって真希は強く真っ直ぐ生きている憧れの存在でもあったのかもしれません。彼女のような生き方は乙骨にもそして今を生きる私たちにも響くものがあるのでしょう。その強く真っ直ぐな生き方も1人1人違うから、自分の信念だったり核となりうる部分、個性も違う。だからこそ1人1人の個性を尊重し合う多様性の世界が重要視される時代にようやくなってきたのかもしれません。

『劇場版 呪術廻戦0』公式ビジュアルポスター

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