マンガと仏教ー呪術廻戦②

その1はこちら<マンガと仏教ー呪術廻戦① https://shinkouji-nagoya.com/マンガと仏教ー呪術廻戦①/をご覧ください。

第2回 呪術廻戦 東京都立呪術高等専門学校(0巻)その2

第2話 「黒く黒く」より

禪院真希との小学校での共闘後、狗巻棘と共に行動したハピナ商店街でのストーリー。刀に里香の呪いをもらい受け支配する途中段階でもあり、また前回のようにすんなり引っ込んでくれるとは限らない里香の存在があること、五条悟と乙骨憂太自身が処分されてしまうという脅し付きだったため、里香は出さず、その力は刀に納められる範囲で使うことの条件が出されている段階での、呪言師・狗巻棘との共闘が始まります。その先にある大きな闇もまだ誰も知らずに・・・。

芥見下々 作『呪術廻戦』 0巻(集英社)

若人から青春を取り上げるなんて許されてないんだよ。何人たりともね(五条悟)

乙骨を一時預かりしている五条悟が、前回、特級過呪怨霊・祈本里香が422秒間完全顕現したことを問いただされ、その説明をしているにも関わらず乙骨を秘匿死刑(現在は保留中)にしようとしている上の人間たちの野暮さ加減に嫌気がさし、高専に戻る途中に言った独り言。実は本編(2巻)でも出てきます。

学生の本分は「学業」とよく言われます。確かに大事なことですが、もっと重要なのは「人間関係の構成」と思います。学校にいれば「先輩と後輩」、部活動なら「監督と選手」「選手とマネジャー」のように上下関係や対等関係、ライバル関係などさまざまな人間関係の基礎が築かれます。もちろん恋愛関係も含まれます。これはいずれ社会に出た時に役に立つことでもありますし、勉強だけしていては決して味わえないものです。勉強もしつつ、学校生活を楽しむそれが「青春」なのです。青春時代というのは長短はあると思いますが、生きているうちに1度しかありません。
この青春時代に味わった喜怒哀楽、培った友情などは余程のことがない限り壊れることはないでしょう。そういった経験はたまたまその学校に入ったから経験できたものであって、他の学校に進学していたら異なった経験になっていたでしょう。そういったことを仏教ではよく「ご縁」という言い方をします。極端かもしれませんが1秒後のことは私自身にもわかりません。私は今PCを触っていますが、1秒後に椅子からずり落ちて尻餅をつくかもしれない。これだけ書いてきたのに、停電でパァになるかもしれない。このまま普通に文章を打ち続けているかもしれない。私たちの生活は「ご縁」の繰り返しで成り立っているのでしょう。だから青春も同じ。失敗したっていい。その失敗が縁となって、次なるご縁と結ばれるのですから。思い切り青春しちゃおう!!

誤解されやすいけど、善い奴なんだ(パンダ)

「呪言師」という特殊な家系で生まれ育った狗巻棘は生まれた時からその能力が使え、呪いたくない相手も呪ってしまうことがあり、それなりに苦労してきました。そのため人に危害を与えないために「おにぎりの具」で会話します。芥見先生いわく「しゃけ」は肯定、「おかか」は否定でそれ以外はよく分からないそうです。

このパンダの言葉で重要視したいのが後半部分「善い奴」です。私たちは善人と悪人をよく使い分けます。例えば殺人鬼は悪人。自分にとって都合のいい人間は善人で、排除したい人間は悪人。これが世間一般にいう「善い奴」と「悪い奴」です。では仏教で見るとどうでしょうか。

「善人なほもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」(歎異抄)

これは浄土真宗の開祖・親鸞の教えや言葉を弟子の唯円という人が書き記したとされる『歎異抄』という書物に出てくる言葉です。意味は「善人でさえ救われる。悪人ならば尚更だ」です。「悪人正機」説とも言われ、『歎異抄』といえば悪人正機というほど有名な言葉です。先程の善人と悪人の意味を考えると、「逆やろ!!」となるのが普通ですよね。善人こそが救われて、悪人は罰せられるべき。それが真逆なのですからツッコミどころ満載です。意味を履き違えて行動する門徒がいたため一度は「仏法を聞いてまだ日が浅い人やそもそも仏法を聞く機縁の塾してない人(無宿善の機)には読ませるべきではない」と本願寺第8代門主・蓮如の時にほぼ禁書となった事実もあるほどの書物です。

じゃあなぜ逆なのでしょう。ここでいう善人とは、自分の力(自力)で善を積んで救われようとする人のことで、その人は阿弥陀仏の力(他力)に全てお任せする心が妨げられて、かえって救いから遠ざかってしまうという意味です。そこから学べることは「自分は超いい奴(善人)であると信じているうちはダメで、自分の悪いところや至らないところを自覚することが大切だ」ということです。人はみんな自分のことが可愛いし、自分が正しいと思っています。他人からの指摘は右から左へ受け流したいほどウザいものです。素直に聞き入れられないのですね。この『歎異抄』の言葉から、私という人間の愚かさをも学ぶことができるのです。

『呪術廻戦』に戻ります。パンダは棘のことを「棘の‘‘呪言’’はなァ、生まれた時から使えちゃったから、昔はそれなりに苦労したみたいだ。呪うつもりのない相手を呪っちゃったりな。境遇としては憂太にかなり近い。だから入学当初からオマエを気にかけてたみたいでな。」と乙骨に話します。乙骨自身もハピナ商店街で「狗巻君は優しいんだ。不用意に人を呪わないために、呪いのこもらないおにぎりの具で話してるんだよね?今日だって助けてくれた。危険から遠ざけようとしてくれた。あの時も緊張していた僕に気を使ってくれてたんだよね?」と回想しています。こうした周囲の評価が物語っている通り、棘は「善人」です。ですが、棘自身は過去にその力で呪いたくない人を呪ってしまったなどの後悔があるのでしょう。それは棘自身が自分の至らない部分、いわゆる「悪人」ということを自覚しているのかもしれません。

『歎異抄』悪人正機説は、最後の行から始まります。
唯円が書いたもの見つかっておらず、基本的にこの「蓮如書写本」が使われます。

呪術廻戦を知りたい方はこちらのリンクから。
TVアニメ「呪術廻戦」公式サイト
『呪術廻戦』|集英社『週刊少年ジャンプ』公式サイト

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