『葬送のフリーレン』を読んでみて①

葬送のフリーレンとは

 『葬送のフリーレン』とは「週刊少年サンデー」(小学館)に2020年から連載されている原作・山田鐘人、作画・アベツカサによる人気漫画です。
魔王を倒した勇者パーティーで作品の主人公・魔法使いのフリーレンは共に旅をした3人と違い1000年以上を生きる長命の種族・エルフです。彼女が「後」の世界で生きること、感じること、そして残った者たちが紡ぐ、葬送と祈りとは・・・物語は「冒険の終わり」からはじまります。
英雄たちの「生き様」を物語る後日譚ファンタジーで、2023年秋から2024年春にかけて待望のアニメ化がされ、多方面で賞賛されています。その中に出てくるいくつかのセリフは、私たちにとってハッとさせられるものが多く、それはまた仏教や浄土真宗の教えにも繋がってくるように感じています。

葬送のフリーレン 第1巻

フリーレンの後悔から私たちが感じ取ること

長命のエルフと短命の人間

『葬送のフリーレン』のいわば根幹を成しているのが「人を知る」ということです。10年の間ともに旅をした勇者・ヒンメルは10年を「短い間だったけどね」と言ったフリーレンに対し「短い?何を言っているんだ?10年だぞ?」と言います。その後、再び1人で旅に出たフリーレンが再びヒンメルら勇者一行に会うために戻ってきたのは50年後。この50年の間にヒンメルは見事に老い、髪の毛はなくなっていました。50年前にもう一度見ようと約束をした「半世紀(エーラ)流星」を見届けた後、勇者・ヒンメルは死を迎えることになります。

「人間の寿命は短いってわかっていたのに、なんでもっと知ろうと思わなかったんだろう」

 人間が80年しか生きられないのに対し、フリーレン(エルフ)は1000年以上を生きています。人間にとっては長い時間であっても、彼女にとって80年なんてとても短い時間。実際に、
 「80年は人間にとって相当長い時間らしい」(第5話「人を殺す魔法」)
 「たった30年でしょ」(第7話「魂の眠る地」)
と言っています。師匠である大魔法使い・フランメの残した手記を見た時には、
 「千年も前から私がここに来ることがわかっていたのか?相変わらず嫌味な奴だ。」(第7話「魂の眠る地」)
と思っています。しかし彼女は人間の寿命が短いということを知っていたにも関わらず、ヒンメル(人間)を「知ろうと」しなかった。王都の民衆からは「仲間なのに悲しい顔ひとつしないなんて薄情」と言われ、
 「・・・だって私、この人の事何も知らないし・・・たった10年一緒に旅しただけだし・・・」
と、ヒンメルの葬儀の時にそれを泣きながら後悔し、出た言葉が、
 「人間の寿命は短いってわかっていたのに、なんでもっと知ろうと思わなかったんだろう」(第1話「冒険の終わり」)
なのです。

「知人」は「知っている人」?「人を知る」?

「知人」という言葉があります。辞書では「互いに知っている人」という意味があります。ですが読み方を変えると「人を知る」とも読むことができます。フリーレンが新たな旅で目指す目的です。

では、それを私たちに置き換えてみましょう。80年という時間は長いようで短いです。私たちは本当に「自分の親」のことを知っているのでしょうか。両親の誕生日、結婚記念日は何月何日?母親(父親)の旧姓は?好きな食べ物は?嫌いな食べ物は?どんな子供だった?なんか部活入ってた?どうして出会った?何の仕事してた?etc…

これを書いていて私は意外と親のこと知らないのかもしれないと感じました。父である住職は今年74歳になります。仮に80まで生きるとしたらあと6年「しか」ありません。その間に私は父のことをどこまで知れるのだろうと感じてしまいます。もちろん亡き後にも父を知ることはできるでしょう。しかし生きている時にしか聞けないこともたくさんあるのです。

大切な人を知るために残された時間

私の場合は両親と仕事で毎日のように顔を合わせていますが、中には就職や進学、また結婚を機に、実家を離れる人は多いと思います。すると必然的に両親と顔を合わせる機会は減ります。盆や正月などに帰省できれば良いが、新型コロナが流行したここ数年、それも叶わなかった方も多いことでしょう。

 ロサンゼルス・ドジャースの大谷翔平選手がイメージキャラクターを勤める、時計でお馴染みのセイコーホールディングスが6月10日の「時の記念日」にちなみ2017年から全国の10~60代男女1200人を対象にネット上で意識調査を行なっています。その結果を毎年「セイコー時間白書」としてまとめています。

コロナ禍前のデータなので今行うと少し異なるデータが出るかもしれませんが、2019年6月に発表した「セイコー時間白書2019」は「大切な人と過ごせる生涯『残り時間』」というのがテーマとなっていました。

その結果、両親と別居している35~39歳の人が母親と直接会って話せる時間は、

たった26.1日(626時間)

しかないというデータが出ました。父親の場合は

さらに短く11.5日(276時間)。

母親の場合は1ヶ月、父親の場合は2週間を切っています。それほどまでに私たちには「両親を知る」時間がないのです。

朝は元気でも、夕べには白骨になる我が身

本願寺の第8代門主である蓮如上人が『御文』(門徒に当てた手紙)で、

「それ、人間の浮生なる相をつらつら感ずるに、おおよそはかなきものは、この世の始中終、まぼろしのごとくなる一期なり。されば、いまだ万歳の人身をうけたりという事をきかず。一生すぎやすし。今にいたりてたれか百年の形体をたもつべきや。我やさき、人やさき、きょうともしらず、あすともしらず、おくれさきだつ人は、もとのしずく、すえの露よりもしげしといえり。されば朝には紅顔ありて夕べには白骨となれる身なり。」(『御文』5帖目第16通)

と書いています。これは「白骨の御文」と言われるもので、人間の儚さを示しています。その日はいつ来るかわからない。無常の風が吹けば、そのいのちの灯は消えてしまう。明日かもしれないし、10年後かもしれない。そんな儚いいのちをもつ私たちだからこそ、もっともっと人を知るのが必要があるのかもしれない。そう、フリーレンのようにいなくなってしまってから後悔をしないように・・・。

※マンガと仏教を勝手に考察したものの中に『呪術廻戦』もございますので、よろしければご覧ください。

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